日々思ふこと(教育改革編)

教育に関して綴って参ります

大阪市立桜宮高等学校の問題について

2013/1/23 水曜日 から damian | 0件のコメント

cosmos_2大阪市立桜宮高等学校にて体罰が原因と思われる生徒の自殺が発覚してから、体育科ともう一課程の入試取りやめと振り替え、教員の全面刷新、そして生徒たちの記者会見・・・それぞれにそれぞれの問題があり、すでに一部は取り返しがつかないのではないかと思っています。

まず体罰についてですが、30~40発殴ったもしくは叩いたとするのであれば、それは体罰の範囲を超えているでしょう。
私たちの世代で考えると、たとえば前に私が書いたものでは球技大会の練習のために勝手に卓球台を出して練習をしていたら、顧問の先生に「誰の許可を得てやっているんだ!」と叱られ殴られました。
もう一人と今も話をすることがあるのですが「あれは俺たちが悪かったから殴られても文句言えんわな」と言うのですが、私もまったく異論はありません。
悪いことをしたのは私たちですから、一発がつんと食らわされたのは私たちの責任でしかありません。

しかしながら30~40発をたとえ生徒が悪いとしても殴る、叩くというのはすでに犯罪の域に達しているでしょう。
許されざる行為でしかなく、これを黙認していた学校の運営側(教師も含む)とそして知っているはずの「生徒」までを含めて共謀であるといわざるを得ません。
そしてたぶん教育委員会などにも訴えはあったはずなのですが、それをただ学校に投げただけの教育委員会にも当然ながら責任はあります。

それらを「体育科の入試を中止」し「普通科に振り返る」なんてのはただのまやかしでしかなく、今すぐ決めるのではなく学校側が生徒も含めて是正できるものなのかを考え、再来年度の入試要綱が決まる前に決定してもよいのではないかと考えるわけです。
無理だと判断すれば当然ながらその後の体育科どころか学校の存続さえ危うくなるわけです。

橋下大阪市長と教育委員の方々にもたいへんな問題があります。
大きなものは性急過ぎることでしょう。
入試要綱は確定していて募集もほぼ決めていた状況で、来年は急遽取りやめますというのは「世論がうるさいからとりあえず今年はやめときます」という大人の玉虫色の結論にしか見えません。
付け加えるなら橋下市長は首長でありながら無責任すぎる発言であるとしか考えられません。
思いをメディアにぶつけるのはお好きにどうぞと考えますが、それを教育委員の決定が従ってしまう・・・ましてや玉虫色にするとなると、教育委員会の決定は本来独立されているものであるはずなのに、首長に従うというふうに取られかねません。
ただでも疑っている人々が全国にいるというのに、これを助長したに過ぎません。

そしてこれが一番問題ですが、誰が生徒たちに記者会見を設定したかということです。

生徒たちが望んでそれにマスコミがという構図にしたいのはわかりますが、それに乗るマスコミがいたとしたなら馬鹿以外の何者でもありませんし、それよりも必ず糸を引いて会見をセッティングした人間がいるのは当たり前にわかることです。
そう考えるとこれは生徒たちが「言わされている」もしくは「こう言う子供を選択している」ことに過ぎず、学校全体の意見としてはとても正しいものではないと考えます。

また、決定に対して私は問題があると考えていますが、生徒たちが声をあげるよりもまずは大人が声をあげるべきだというのに、今回の問題の大きなものに「教師」があるわけですから、教師たちが声をあげることはできないというのがあるために、糸を引いたのはあそこかあそこであろうというのは教育に関係している方々は容易に想像がつくわけです。

まあそんなお涙頂戴に流される世論というのもあるので呆れてしまうわけですが、今回生徒たちを前面に立たせたのは大失敗だと言わざるを得ません。

さらに残念なのは生徒の中でソーシャルメディアを使っていろいろやっていることでしょう。
それがいわゆる「大人の対応」なら理解ができるわけですが、残念ながら馬鹿発見器に引っかかってしまう状況だというのですから「口を出すな」と言いたくもなります。

今回の着地点は本当に正解だとは私には思えませんが、サヨク的な言い回しを使うなら「権力者に従った」ということになってしまったことは決して生徒たちによい影響を与えるとは思いません。
こういう時こそ自主自律は必要になってくるのですが、残念ながらその域に至る生徒が見えてこないのが残念です。

突っ込みどころが違うのではないかという事案

2013/1/21 月曜日 から damian | 0件のコメント

66003_038大阪府安全街メール
犯罪発生詳細

情報種別: 子ども被害情報

件名: 中学生女子に対する声掛け事案

発生日時: 01月16日 00:10

発生場所: 寝屋川市 三井が丘3丁目10番 付近路上 (地図)

発信: 寝屋川警察署

発生状況: 中学校3年の女子が塾を終えて自転車を押して塾友達と一緒に帰宅途中に、作業服姿の男から「駅はどこですか」と声を掛けられる事案が発生しました。

犯人: 不審者は年齢30から40歳位、小肥り、ベージュ色の作業服、短髪でメガネをかけた男1名

告知内容: 不審者を見たら大人に助けを求め、110番通報をしましょう。

その他:

そもそもなぜ午前零時に中学生が外をふらふらしているわけだ?
そしてたかだか道を聞いただけで犯罪者扱いされるというのはおかしくないだろうか。

そりゃ万が一犯罪者だったら・・・なんて警察が考えたのだとしたら「馬鹿」としか言いようのないことだと思う。

中学校三年生が塾帰り零時になるなんてのは常識的にどういうことか考えるべきだろう。

学校の週6日制

2013/1/15 火曜日 から damian | 0件のコメント

ダウンロード学校の週6日制が議論されつつあるようですが、基本的に賛成をしております。

昨日Facebookの友人が書き込んだものでコメント合戦(といっても賛成の方向ですが)をしましたが、その中に保護者の賛成は86%なのに対して、教師の52%が反対と教師の見識のなさがはっきり見えます。

過去に何度も書いていますが、授業料を増やすと同時に教育内容の充実も必須で、こうした教師が多い状況では難しいと思います。
しかしこれを進めなければ日本人の教育は下降の一途をたどるしかないと思っています。
あの勤勉さと賢さは過去のものだと言われることでしょう。

そのため必要なことは以下のものだと考えています。
○教職員免許の更新制度
○学校に対して地域・教育委員会を含めた外部監査
○不必要な教職員を監査により排除できる方策
○教職員の地位向上(家庭内・社会など)
○夏季休暇、冬期休暇時の交代制連続休暇

つまりは教師に責任を持って子供達を教えてもらう代わりに、休みをきっちり取ってもらえることと、社会的地位の向上を目指すべきだと思うのです。
その代わり教えることに向いていない教師などには教育現場から去っていただくということをできるようにしなければなりません。

こう書いては年を取ったなと思うのですが、少なくとも昔の教師は職業としての教職ではなく、生き様としての教師をしていた方が多いと感じました。
叱られても、竹刀でけつを叩かれても「悪いのは自分だ」と反省することができましたが、体罰は別としても今は叱られてもなんにも子供が感じないなどということがよくあります。
迫力ある叱り方をしたら教育委員会や学校に保護者からクレームが入るから教師は強くいえないのです。

昨日の成人式のイベントでもそうでしたが、派手な格好をしてハンドマイクを持ち込んで騒ぐ者が少数ながらもいたわけです。
これは間違いなくそもそも論として家庭がおかしいわけです。
そんな格好をして出ること自体を許すこと、そういう騒ぎをしないようにそもそも育てていないこと(まあFacebookの知人の受け売りですがw)をしていないからこそこうした馬鹿が一定数でてくるわけです。

たまにこのブログでも登場する仲ちゃんは青少年委員として会場の警備に当たっていましたが、本当に餓鬼だったといっていますし、私もその世代はどこらへんの中学校の卒業生か想像がつきますので、その世代の親はどうだったのかも簡単にわかってしまうわけです。
結局、このあたりも家庭教育であり、まずは家庭からなおすしかないわけです。

学校改革に関しても家庭をなおさなければならないわけですが、教職員の地位向上というのはこういうところからもスタートします。
「先生は先生である」「先生は偉い」ということを家庭できちんと理解し子供に教える、学校は集団活動も学ぶ場であるためどういう行動をしなければならないのかを教える、そしてその中で自分がどういう活動をしていくのか個を育てることというのははっきりいえば全て家庭が主導するべきなのです。
その上で子供を学校に送り出し、子供達は学校で学習を含め学ぶことをするのです。

それらを早急に変えていかねば日本の教育はまともではない方向になるでしょう。

先日、後輩から北欧の実態を聞きましたが、賢い子供が育っていると言われていますが、子供が生意気なのは親が叱れないから・・・なにせ叩こうものなら子供が警察に電話をするし、言葉で叱っても当然ながらなんとも思わないという状態になっているのです。
彼はなんで日本人は北欧に憧れるのか理解が出来ないといっていましたし、なにをどうしても日本が本当に住みやすく、暮らしやすいと言っていました。
移民も多く、収入の半分を税金として持っていかれるというのに、それはもともとの北欧人に使われるよりも、移民政策に使われる・・・つまりは生活保護などの・・・ような国になっているわけで、そんな国のまねをする必要はないとも言っていました。

まさしく私が考える北欧の姿と一致するわけで、日本も下手をするとこんなことになってしまいかねません。
日本は日本でいいのです。

2012/11/11 日曜日
から damian
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サッカー高校選手権

葛飾区立葛飾小学校を卒業した三年生が、高校選手権に二年連続出場はかないませんでした。

今年は国士舘高校に卒業生がいたのですが、東京都準決勝で、実践学園に敗退しました。
しかし、まだ二年生が所属している関東第一がその実践学園と決勝を争います。

みんな頑張ってるね。

高校一年では別ブロックの拾得にいますが、ベンチ入りを確認していないので、あとでみてみないと。

2012/11/1 木曜日
から damian
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難しいものです

子育てが始まって16年経ったのですが、当時と比較して教育環境が大きく変わったとは言えません。

ゆとり教育の内容と指導要領の変更はありましたが、これから質への転換を考えねばなりません。
これがやはり難しいわけです。

最も変わったのは保護者かもしれません。
保護者の大きな質の変化はないのですが、いわゆる問題となる保護者が増えたように思います。
一言で表せば、許容の幅の狭い人が増えたのと、依存をする人が増えたようです。

「誰かがやってくれる」という保護者の数は確実に増えたように感じるのは気のせいではありません。
ではどうするかといえば、みんなが学校や行政に関心を持つことです。

ひいては政治でしょうか。

それらは本来たいへんに身近であるのですが、私とは遠い世界にあるといってはばからない方がいらっしゃいます。
今の現役保護者世代で関心が薄く感じるのは、そのさらに親世代の問題であるとは思いますが、まずは自分たちです。

そのためにも知っている人が動かねばなりませんね。

2012/10/26 金曜日
から damian
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守る会@葛飾「今中哲二氏(原子力工学)講演会」10/27開催です

明日は新小岩地区センターで今中哲二氏(京都大学助教)の講演会が行われます。

葛飾で暮らしていくために知っておくことがあります。
闇雲に騒ぐのではなく、どうやって知恵を絞って生きていくのか、今なにをしなければならないのかを知っていくための講演でもあります。

当日いらしていただいてもお席に余裕がございます(資料代500円をいただきます)。

また放射能による汚染を示した話題の「早川マップ」も今中先生と作者の早川由紀夫先生(群馬大学教授)のご理解と、東京連合こども守る会の協力によりお配りすることができました。

ぜひお誘いあわせの上いらしてください。

2012/10/17 水曜日
から damian
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葛飾区立PTA連絡協議会ウェブサイト閉鎖

平成19年、小P連が実験的にはじめた広報および情報収集のためのウェブサイトですが、閉鎖することとなりました。

平成21年からは連絡協議会のもと運営してまいりました。
もちろんサーバ代などの運営費用を含めていただいておりましたが、残念ながらこういう結果となりました。

現在の執行部・・・会長に連絡をしましたが、彼は経緯を知っているだけに心苦しいながらもという前提で連絡をくれたようですが、まあ仕方がないのかと思っています。

相棒の仲ちゃんからその連絡をもらったあとに、会長が疲れているようなのでのみにでも行くかと電話したのですが、どうもいろいろと会長は悩んでいるようです。
小P連なんてすごい組織ではないのですが、会長は会長として孤独ではあると感じます。
私は会長経験者ではありませんが、たまたま歴代会長と仲がよかったので、その苦悩の一部を感じることができました。

で、少しでも手伝えるならと思っていたのですが、無料で本業のサービスを提供できるような余裕などありませんので、ウェブサイトに関しては閉鎖やむなしという結論になったのです。

その電話の最中に今年亡くなった会田くんのことをふと思い出したり・・・たいへんな時期を一緒に過ごした仲間というのはいつまでも覚えているものです。

第三ブロックが小P連を担当したのは平成19年度でしたが、あの時は本当に奇跡が起きたのだと思います。
単P会長の7人だけではなく事務局、そして単P役員の方々など、素晴らしい要素がそろっていたからこそあの「三ブロ」ができたのだと思っていますし、あの時は二度と訪れません。
ただ想いをつないでいってほしいとは思いましたが・・・

事務局総長なんて本来はない役職名をEさんにつけたりして冗談を言いながらやっていましたが、みんな真剣に子供たちのことを考えながら、保護者のことを考えながらやっていきました。
今だから楽しい思い出になっていますが、その時はたいへんでしたね(笑)

まあ、現会長の悩みは呑みながら話を聞いてみましょう。
話をするだけでも助かりますので。
がんばれよI川ちゃん!

2012/10/8 月曜日
から damian
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教育の再生

競わせましょう!…なんて書くと、また叩かれるのですが(楽しんでいる部分もあるか^^;)、それも含まれると思っています。

日本は変な平等論にあふれていて、学ぶこと競うことをしなくなりました。
日本人は勤勉というのが過去の話のようです。
ですが、日本人の勤勉さのベースが違うため、よそから見ればそれでも充分勤勉なのですが、見習った国を見るとちょつと行き過ぎの部分はありますが、競って優秀な人材を伸ばそうとしています。

そこにあるのは間違ったノックダウンです。
つまり再チャレンジのチャンスがないということです。
日本は再チャレンジできるように変えつつありますが、残念ながら伸びの上の方にある人たちを救っていません。
そのチャレンジができてはじめてチャレンジすることを恐れなくなるでしょうし、チャレンジの楽しみも出てくるのではないでしょうか。

今年から教育の内容を変えたようですが、中身をきちんとしなければ、またしてもゆとり教育の失敗と同じことになってしまいます。
学習をさせること、競わせること、どちらも重要です。

2012/10/4 木曜日
から damian
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子育て方法(2)

昨日とはまた違うように見えることを書きます(笑)

たとえば普通にできることは、子供が甘えてきたらしましょうということです。

その典型例は抱っこだと思っています。
拙宅の子供たちは私の抱っこが大好きでした。
抱っこをねだるときと言うのは何か、少しの不安などを抱えているときです。
その時に、抱き止めてあげるだけで子供は安心するのです。

こうした満足は与えてあげなければなりません。
私は弟ができてから、そうしたことで甘えるのが苦手になってしまい育ったために、若干屈折しています(苦笑)
そのためこんな年齢でありながら、父との向き合いが互いに苦手だったりします。

もっと素直であったならと今更いっても仕方がないので、大人どうしとして親子関係をやらざるを得ません。
ここは父も屈折して育っている部分なので、互いに厳しく育てられた家の長男ですからわからなくはありません。

話を戻しましょう。
昨日は甘えさせるな、全てを満たさせるなと書きましたが、いわゆる常識の範囲であり、かつ簡単に満たすことができればやってみれば?ということです。

私が父に子供への愛情があるのか?と感じていたのはそうした部分で、孫ができてから改めて思ったのはあれだけ子供を愛する人が、どうしてここまで愛情表現が下手なんだろうということです。
そのおかげで、私が甘え下手ですからぎこちなくなるのはあたりまえです。

つまり幼児期に子供が親からもらった愛情を、その後も記憶をするということになります。
そこでキーになるのは「常識的な範疇」だということで、赤ん坊と幼児は違うのですから、その時々で大人が判断するべきと思います。

最初にも書きましたが、見純に思うこともあるかもしれませんが、これらは相対的に判断されるものですので、難しいのは事実です。
試行錯誤を繰り返して、子育ては進行していくのですから。

2012/10/3 水曜日
から damian
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子育て方法

先日、昔から知っている女性と話す機会がありました。
今や二児の母ですから、一生懸命に頑張っている様子がわかりました。

しかし、違和感があったので、指摘したことが一つだけありました。

幼児期の甘えを全て満たすというように聞こえたからです。

私は今の若い世代がなぜかやる気に見えないような感じに受け取ることがありますが(もちろん全ての人ではありません)、それは物質的や昔以上に手をかけてもらっていることで、満たされるのが当たり前のようになっているのではないかということが原因ではないかと考えています。

逆説的に言えば、昭和三十年代生まれた私は、戦後生まれよりは満たされて育ちましたが、それでもまだ日本は貧乏でした。
だからこそいい意味でのし上がってやろうとか、矢沢永吉ではありませんが成り上がってやるというのが強くでる人が多くいました。

一生懸命働いて、金を稼いで家族を楽させてやるんだなんて言う…実は私もそう考えていますがうまくいきません(笑)…そういう人が、満たされなかった物を求めるのではないかと思うわけです。

つまりは満たされているから、とりあえず今のままで十分と感じてしまうわけです。
欲求というのは満たされないからこそ満たそうとするわけです。

社会に出れば欲求が全て満たされることなどあり得ません。
満たそうとするから努力をするわけですし、満たすために行動をするのです。

その意味において、幼児期の欲求を全て満たすというのは、ストレス解消の方法を学ばず、我慢をしない最近の若い世代と重ねてしまうわけです。

もちろんそれが全てでないのは、家庭でその逃がし方を見つける時に見守ってあげる方がいらっしゃるからです。

厳しく育てすぎるのも問題ですが、欲求を全て満たすというのもまたいかがなものかと感じてしまいます。

ちなみに、親に対する甘えの部分であって、物質的には全てを与えていない(与えられようはずもありませんが)のは付け加えておきます。

そして、まるっと全てを否定するものでもありません。

2012/8/18 土曜日
から damian
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いじめ

現在の私を知っている人は、いじめられることには無関係だと思われるかもしれません。

しかし、北海道から東京、東京から北海道へ12歳から15歳の間に転校をしたこと、言葉が荒いのに体が小さく向こうっ気が強かったことなどから、実はいじめられた時期がありました。
特に小学校の最後に転校したときには、今考えれば私も転校生でありながら彼らからすれば生意気だったのでしょうし、それが鼻についたから集団でのいじめにあうということになったのでしょう。

これは今だからこそ言えることですし、今の私ではそもそもいじめる側にもいじめられる側にも無関係に思えるからこそ言えることであって、当時からの三年ほどの私には深刻な事態だったわけです。

ただ私が普通のいじめられっこと違ったのは、教師に抗議をしにいったり、集団の暴力であっても諦めずにやり返していたということなのかもしれませんが、これは誰にでもできることではないでしょう。
たまたま私がこういうキャラクターだったからできただけのことであって、集団でのいじめや暴力に屈する方が楽だと考えてしまうということも理解できます。
やり返すよりも簡単ですから・・・

私の転機は高校で訪れました。
一つは体が大きくなったということもあるのでしょうが、それよりも生涯の友人を複数得ることができたことが大きく、喧嘩をしながらもいまだに仲良く馬鹿をやっていられる仲間ができたからこそこうしていられるのだと思っています。
もし彼らがいなければ、私は現在のように社交的ではなかったと思いますし、引き篭もりになっていた可能性さえあったと考えています。

全てのいじめられっこにはそれぞれの解決方法があるため、これが全てではないのはわかっています。
言いたいのはいじめられっこを「かわいそうに」と周りの人が見ているだけになってほしくないということです。
手を差し伸べてあげなければ這い上がってさえこられない状況の人だっているわけです。

今のいじめよりも楽になりたい・・・それが自殺という最悪の結果につながったりするわけで、それを防ぐには本人だけではなく周りの手助けが間違いなく必要となります。

しかし、残念ながら学校が非協力的であるというのは、いじめがあったとされる学校で必ずといっていいほど聞こえる「いじめはなかったと認識している」というものです。
なかったなどと思っているのであれば、その教育者たちはそもそも現場の人間として失格でしかありません。
見てみぬ振りをしていればそれもまた教育者失格です。
まずは教育者が先に立つべきであり、本来はほとんどのこうしたものを防いでいるはずなのですが、事件が起こる学校というのはそうした教育者がいないのではないか?とさえ思うわけです。

教育者の大多数が生徒のことを考え、教育活動に励んでいるというのは理解していますが、それでも相当数がそういうことをサボタージュしているのではないか、ひいては教育者の質が落ちているのではないかとさえ思うわけです。

とにかくすべてのいじめられっこの周りにいる人にいいたいのは、それを見ていて見ぬ振りをするのをやめてほしい、そしてできるなら手を差し伸べてほしいと。
私が願うのはそういうことです。

2012/7/28 土曜日
から damian
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子供の教育

悩みますね・・・

親となって16年、自分はどういうことを教えられたのだろう、教えられたのだろう・・・
そう思うと悩みはつきなくて^^;

まったくもって難しいものです。

2012/7/24 火曜日
から damian
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夏休みイベントやってます

という感じで、あちらこちらの学校や神社で模擬店などをやっているようです。

ようですというのは、時間がなくお伺いできないためで、今週末の地元盆踊りも残念ながら所要で行くことができません。

こういう時に子供会やPTAの力というのが必要になるわけですが、当然これが何になるのかと疑問に思われる方もいらっしゃるのは事実です。

しかし、地元の伝統だったり子供達の楽しみのために、保護者が協力して作り上げることに疑問が発生するのはなぜなのだろうと考えます。

無論、意味のないものはやらなくてもいいのですが、自分の子供も含めたレクリェーションのために協力することを「なんで?」と考えてしまうのはどうなのでしょうと思ってしまいます。

まずやってみてはいかがでしょうか。

2012/6/19 火曜日
から admin
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所得税は元に戻した方がいい

今年の都民税、区民税、所得税を合計してみて、唖然とさせられました。

個人的には「子供手当なんざいらない!」と言ってみたのですが、妻から「冗談ではない」という一撃をくらい、ポリシーとは反する形で子供手当を受け取ることにしました。

しかし、税金を計算してみたらとんでもないことがわかったわけです。

私は毎年自分の会社からいただく報酬が一定ですので、年末調整をしないで自分で確定申告をしているのです。
確定申告できっちり税務署とやりあって、必要なものは控除させていただくようにしているのです。
※だからサラリーマンでも確定申告をしようと言っていますが

で、そんなこんなで今年の確定申告に驚愕の事実があったのです。
子供達二人が私の扶養に当たらないというのです。

「「控除対象扶養親族」とは、扶養親族のうち、その年12月31日現在の年齢が16歳以上の人をいいます。」という一文が追加されたおかげです。
これは「子供手当があるんだから」という理由なのでしょうが、これのおかげで当然ながら課税額が多くなるというわけです。

おかげで所得税が例年よりもはるかに高い状況が生まれ、泣く泣く追加で納税をしなければなりませんでした。

ところがすっかり忘れていた事実があったのです。
都民税、区民税の通知がきたら、結局その税金も増加するという事態になったのです。

妻が通知の封書をあけて「これってあなた昨年いくらで申告したの?」というレベルだったわけで、そりゃ私としても何があったのかと驚くわけです。

計算式)
旧:(収入金額)-((基礎控除)+(妻の扶養控除38万円)+(子供の扶養控除38万円×2))
新:(収入金額)-((基礎控除)+(妻の扶養控除38万円)

実際にはこれに社会保険控除やら生命保険控除など入るわけですが、76万円収入から控除できないというのはたいへんに大きな問題です。
それ以外のマイナーチェンジもあり税額がアップするわけですから、子供手当をもらってもたいした恩恵はないというのがよくわかるわけで、現政権の嘘吐きっぷりはたいしたものだと感じてしまいました。

さらには社会保障の財源がないから「国民から借金しましょう!」「消費税を上げあげましょう!」と、国民の生活を考えない政府というのができたわけです。
こんな子供のことを考えないということはあり得ないでしょう。
子供は保護者が育てているのです。
そして日本人にだけ支給するのが当然のことです。
他国の方にまで支給するのは、完全に相手国の立場を無視した過剰で失礼な制度ということになります。
もしも外国籍の方で子供手当くれ!と懇願するような場合は、国籍国に対して言うべきであって日本国に言うべき問題ではありません。

2012/6/2 土曜日
から damian
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ツイッターで思ふこと

馬鹿発見器といわれるツイッターですが、私はそれなりに楽しみにみていたりします。

さまざまな発信よりどちらかといえば受信に重点をおいていて、発信はこうしてブログが中心となっています。

というのも私の伝えたいものはなかなか140字以内におさまらないということが多く、そのためブログで伝えたいということになってしまうのですが、140字だからこそ伝わらない伝えきれないではなく、そもそも何かが欠落している人たちの書き込みを見て「なんて幼いんだろう」とか「自分の意見だけを押し付けて悦に入っている」などなど見えてくるものがあります。

先日「家制度にとらわれているから」なんていう「家」というものに言及した科学者がいました。
そりゃ人間の最小単位は「人」ですからその部分は否定しませんが、個人主義が行き過ぎた結果がどうなるのかというのを科学では学ばないんだなというのがよくわかるものでした。
欧米をみてみればわかるのですが、個人主義・・・というか好き勝手のし放題で社会がどれだけ荒んでいるのかというのを考えてみればいいのです。
金は無くとも幸せか?ということにもつながるわけですが、アジア的なよさというのは精神文明であり、基本が家庭にあるということがその源にもなっています。

結婚制度さえも崩壊しようとしている欧州の一部において、個がそもそも行き詰っているからこそ事実婚であったりしてそもそものベースさえをも作ろうとしないことが、結局今の欧州の凋落を示しているのだと考えます。
フランスでは出生率が増えたといいますが、では婚姻率が増えたのかといえばそうではないわけです。
事実婚であったりシングルマザーであったりと、家庭という最小構成単位を作らないということが、結果として自分勝手なものを産み出すのは、間違いが無いと考えます。

日本はなんとかまだ踏みとどまっている状況ですが、サヨクによる一見わからない洗脳というのはあります。
地域で子供を育てるなんてのはその最たる例で、第一義的に家庭が子供を育てることをしないで、とにかく地域がなんてのは共産主義の考え方と違いはありません。
共産主義、社会主義の失敗はすでに20年前に見てしまったわけで、そもそも個の能力が違うことを考えれば、当然ながら成果主義であったり実績による判断になるのは当然です。
そこに選択をする側の平等性は必要ですが、生まれ持った能力であったり財力、その他の環境により個が違ってくるのは当然なのですが、それを理解しようとしない人たちというのはかなり無茶を言います。
そしてそれを他の人にも押し付けようとするわけです。

ツイッターで唯一拒否をした人がいますが、彼は自称左翼であり活動家であるというようなニュアンスでしたが、残念ながらレッテル貼りをして自分と考えの合わないものは罵倒してしまうというような人でした。
まあ彼のおかげでなぜサヨクというのが政治家となったときに素養が無いのかというのがわかったためありがたいとは感じますが、そのツイートによる攻撃はあきれるばかりのものでした。

ツイッターを当然ながら若い世代も使っているわけですが、注意してもらいたいのはその文字の向こう、ディスプレイの向こうには生身の人間がいるわけです。
それを見知らぬ人に「お前」呼ばわりをしたり馬鹿呼ばわりをしてしまうのは礼儀を欠くことになります。

たとえインターネットであったとしても、それは人が使うものなのですから匿名であっても当然ながら礼節をわきまえるのが当たり前です。
それができないのであればツイートや論争などやめるべきだと思いますし、若い世代はそういう荒れたものをみて学んで欲しいと思います。

2012/5/31 木曜日
から damian
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くだらない・・・

東京都交通局、都営地下鉄の全車両で優先席を増設 – 原則1両あたり4カ所に-マイナビニュース
  [2012/05/31]
東京都交通局は6月15日より、都営地下鉄全車両を対象に優先席の増設を開始する。優先席は1両あたり2カ所に設置されていたが、今後は1両あたり4カ所(一部車両を除く)に増やされる。

都営新宿線10-300形。都営地下鉄全車両を対象に優先席が増設される

高齢者や障害者、妊娠中の女性などに向けた優先席は1974年より設置され、2003年からは原則1両あたり2カ所に。より安心して利用できる「人にやさしい地下鉄」をめざし、優先席のさらなる増設を図ることになった。先行して増設されるのは都営新宿線と都営大江戸線で、6月15日より車両の窓に優先席ステッカーを順次貼付し、その後で座席や吊り手も更新する。なお、更新前であってもステッカーが貼られた座席は優先席として扱うとのこと。

都営新宿線と都営大江戸線に続き、都営浅草線と都営三田線でも優先席の増設を実施。東京都交通局は、「席を譲り合ってご利用くださいますよう、ご理解とご協力をお願いします」としている。

シルバーシートなんざ取っ払ってしまえと私はできた時からいっているくらいだ。

全席シルバーシート状態なのが当たり前。

以上

2012/5/22 火曜日
から damian
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公ということを知っているか

昨今の風潮を見ていると自分さえよければいいというのが、政治家にさえでてきているのだというのが見える。
なぜなら社会がそういう風潮になりつつある人たちが増えたからというのも一因なのだと思うのだが、幸いなことにまだそうした人が目立つということは世の中捨てたものではないということ。

それにしても今の国会の状態を子供達には到底見せられっこない。
約束を守らない政党と、国民のことを本気で考えていない政治家が多いものだから、本当にやっかいである。
消費税増税が国民のためになると本気で思っているのであれば、そいつは「公」というものを知らないのであろう。

そもそも国の借金と言われているものは国民ひとりひとりに対する借金ではなく、政府が借りているのだから政府が借金を減らせばいいだけのこと。
それを本末転倒で「国民の負担を」などというからおかしいことになる。
教育の現場でそうしたことをきちんと教えなければ「国民一人あたりの借金は・・・」などというマスコミの言葉に騙される庶民となってしまう。

若いころから地域に親しむことが自治体につながり、最終的には国家へとつながるように教育を再構築するべきである。
愛国心に対する教育を強調するのではなく、そもそもどうして自分はそこで生まれ育ったのか、どういう良い国なのか地域なのかということを学ぶことにより、当然ながら国への愛とは育まれるものだと思う。
くだらない平和教育(あれは平和に対するものではなく、日教組などが押し付けるもの)などやめ、和を以って貴しとなす世を作るべしだと学ぶべきだろう。

ちなみに和とはなあなあにすることではないのだが、だからといって争いで決着をつけようというものではない。
公を知れば和も理解できるはず。
それを学校教育に結び付けることこそ大切なことだと考える。

2012/4/23 月曜日
から damian
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思ふこといろいろ

実は諸事情があり学校を中心点として逆側に引っ越しました。
しかも家賃+駐車場で安くなるということだったので、金をかけずに引越しをしました。

前の場所はまだ妻と二人の時で、三か月後に上の子が生まれる時でしたので荷物も今より少なかった・・・とはいえ、4トンの超超ロングにびっちり詰め込んで自分で運んできましたので、さらに量が増えたという感じでした。

全てを片付けて掃除をして・・・家族四人で過ごしていた時は狭くなったなと感じたのですが3DKの部屋は荷物がなくなってみれば意外に広いのだなと感じました。

ここで子供が二人生まれ、育て、16年分の想いがふっとよみがえった時に、涙がでそうになってしまいました。
ですが、諸事情があり引っ越さねばならなくなったため、交通の便は悪くなりましたが(前は駅まで徒歩5分圏内)その分生活スペースは圧倒的に広くなったので良しとしましょう。

さらに仕事のやり方も変えました。
一昨年に事務所を閉めて以来自宅で仕事をしていたのですが、平日は水曜日を除き外で本業のコンピュータシステムの仕事をしています。
昨今の中小企業の経済状況もあり、街のシステム屋としてだけでは仕事を維持していくことが難しくなったため、コンサルティングやプロジェクトマネジメントをさせていただいています。

さらに引越し、上の子の進学とほとんどの環境が変わりリスタートとなりました。
4回目の年男はリスタートの年となりましたので、また新たに動いていこうと思っています。

土曜日に昭和55年度 葛飾小学校卒業生の同期会がありました。
派手に同期が集まったわけではないようですが、多くの方が集まったようです。

妻はこの同期会に参加していたのですが、妻の同級生には保護者の仲間として存在している人たちがいます。
私が会長をさせていただいていた時には、いろいろ話をしていただき、応援をしてもらいました。
保護者としてはこれからも必要な活動をしていくわけですが、そうした仲間に協力や応援をもらえるようなことをしていこうと思っています。

それにしても妻は結婚して初めての朝帰り(幼稚園の謝恩会終わりは3時帰宅だったのでギリギリ朝ではなかった)で、昨日は疲れ果てていたようです。
しかし楽しかったようで、私もそうですが昔の仲間と会ってコミュニケーションをするのは、非常に良いことだと思います。

葛飾小学校の卒業生ですし、これからも集まって過ごしてもらいたいと思っています。

さて、忙しいけれど鞭打って参りましょう!
5月中旬までは忙しいなぁ・・・(笑)