日々思ふこと(教育改革編)

Archive for 2月 3rd, 2010

平成22年度の土曜授業取り扱いについて

by damian on 2月.03, 2010, under 教育

本日、葛飾小学校において校長と話をして参りました。

結果として平成22年度、葛飾区の小学校は年間で5回の土曜授業を行うこととなったとのことです。

区教育委員会側は10回を上限としてと言っていたそうですが、各学校で扱いが異なるのもおかしいということで、年間5回の授業ということになったそうです。

早速、葛飾小学校としての案は、4月の土曜日に学校開放および授業参観を行い、4時間目からPTA総会を行うという計画を進めることといたしました。

平成22年度は試行ということで、平成23年度から本格運用とのことです。

ですが夏休みに関しては変わらずということです。

これには徹底して異議を申し上げますが、言い訳として「夏休み短縮の成果がでていないから縮減のまま」ということが聞こえて参りました。
これは校長から聞いたのではなくある方からの情報ですが、そもそも葛飾区の小中学校の学力が低いから夏休み縮減をして、その成果が出ていないのであれば(よくmiyurinnさんの言っていらっしゃる)効率を考える必要があるのだと思っています。
そもそもの話に戻りますが、夏休みは学校以外の部分において貴重な長期休暇における体験機であり、そこをわざわざ潰してしまい、さらには教職員の休暇機会までをも削ってしまうというまったくもって馬鹿げたものです。

山崎教育長は「東京都の区も半分以上が夏休み縮減になり、その先陣を切った葛飾区がやめるわけにはいかない」と言ったそうですが、この言葉に関しては賛成いたしかねます。
成果が出ていないのであればやめて別のことをする、または考えるべきです。

私は授業時間数を増やすことは必要だと考えていますが、それ以上に学習効率を上げるための工夫をする必要だとも考えています。
それは学習要領として考えることであったり、教職員が工夫する部分であったり、家庭学習で得られるものとして複合要素として必要なことであるとも思っています。

学校と家庭が一緒になって努力をしようというのですから、当然ながら行政側もどうするべきなのか机上ではなく実地で知るべきでしょう。
それを知らずして机上でおっしゃるからこそ現場と、家庭と食い違っているのです。

勘違いをしないでいただきたいのは山崎教育長がそうであるということではなくて、国の政策から当然見直さなければならないわけで、市区町村の教育長レベルでできることには限界があることは当然ながら理解しており、努力をなさっているということは存じております。
ですが違うと思う部分に関しては申し訳ありませんが違うと申し上げますし、土曜授業における考え方にはずれがないと思っておりますので、夏休み縮減に関しては見直すべきであると申し上げているだけなのです。

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高校無償化に対しての考え方

by damian on 2月.03, 2010, under 教育

高校くらいは出ておいた方が・・・と思う親心は理解できます。

ですが、意味もなく高校に行っていたり、結局は途中で退学したりと、高校へ行く意味が本当にあるのか?と感じることも多くあります。
そんな中、現在の政権では公立高校無償化と私立高校生徒への学費補助が議論されていますが、このようなものは必要ないと考えます。

もしこれらが必要なのであると考えれば、奨学金のようなものであったり、やる気をスポーツや学力で表現することが必要であって、全員一律に学費免除、一部免除をするべきではないと考えます。
これは日本の高等教育の破壊であるとさえ思っています。

もちろん生活に困窮している家庭の学費援助は必要です。
そうした家庭の子供がきちんと高校を卒業し、機会があれば大学へ進むことができ、学問などで大成することができたり、社会的に認知された会社に就職することによってチャンスを得ることができることは良いことでしょう。

しかしながらはっきり書きますが、学力の低い学校での退学率ややる気のなさを目の当たりにすれば、彼らに税金を使うことに関しては反対をしたくなるのは当然です。

昨日、あるテレビで「公立に入ることができないから私立を選択しても、学費を払うことができないから定時制に回っている」といっている人がいました。
定時制のなにがいけないのでしょうか?というのがひとつと、昼に学問をしたいと考えるのであれば、一定以上の学力が担保されていなければ当然ながら学ぶことなどできないと考えていいと思っています。

高等学校で・・・自分の学びたい高等学校で学ぶためには当然ながら資格が必要であり、その資格がない者は残念ながら別のステージへ進まなければなりません。

私が言う学力の最低限の担保は中学校までの教育であり、それ以上の高等教育は学びたいと考える者がそれぞれに応じた教育を受けるために学校や教師を選択することができなければならないのです。

私の中学時代の友人に中学校を卒業して職業訓練校に進んだ者がいます。
彼は今では立派に大工の親方として大成しており、その息子は高校を出て大工となっています。
息子は「親父は勉強はできなかったかもしれないけれど、人間として尊敬できる」と言っていました。
友人であった彼はたいしたことはないと言いますが、そこまでの苦労を少しは知っている身として、その努力を大きくかっています。
中学時代は勉強が嫌いでできなくて、高校に進むことよりも職業訓練校を選んだわけですが、人生とはそこで終わりというわけではありません。
これもまた立派な人生だと思いますし、彼は今後も親方として活躍を続けるのだと思っています。

また東京に来てからの仲間で、中卒であっても旧来の日本建築をかたくなに守る大工として成功している人、内装工としてのその腕を買われている人など学問は苦手だったかもしれないけれど、その後の人生の成功を手にしている人もいます。
しかしながらそういう人の多くは、もの凄い努力をしたから今を手にしたわけで、高校の学問よりも厳しい時代を歩いてきた時期も長くあるのだろうと思っています。

高校に思うこともあるかもしれませんが、生き方として必ずしも高校が必要なのかと言えばそうではないと考えているのは、こうした人たちが仲間にいるからというのもあるのです。

こうした考え方を持っている私は、努力をしない者にほどこしなど必要ないと考えています。
だからこその高校無償化反対を言っているのです。

高校に進学をする、在学をしている生徒で努力をしている者に対しては無償化をしてもいいのかもしれませんが、その判断は極めて難しいものであると思っています。

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