日々思ふこと(教育改革編)

教育に関して綴って参ります

体罰について

| 0件のコメント

2013011101体罰にたいしてとにかく悪いのだという人の中には、米国ではどうの、欧州ではどうの、北欧では・・・と他国を引き合いに出す方がいらっしゃいます。

ではその国の子供達が素直にはいはいとなんでも言うことを聞くとでも思っているのでしょうか。
親が子供に手をあげて、子供が警察に電話をして親を逮捕してもらう環境が本当に素晴らしいものだとでも思っているのでしょうか。

そういう意見には呆れ果ててしまいますが、私は暴力そのものを肯定はしていませんし、体罰をすべてよしとしているわけでもありません。
許容できるものであるかどうかというのは周囲の判断によるべきであり、本人が正しいと思っても周囲の理解が得られるかどうかは全くの別物です。

桜宮高校の該当の教師は、伝え聞いている範囲では到底体罰を越えており、間違いなくいじめ、暴力の域に入っているわけです。

私は小学生、中学生にサッカーを教えています。
その中で当然ながら暴力で解決するようなことも、体罰で解決するようなこともありません。
なぜなら私はサッカーを教えることについてプロフェッショナルであり、子供であっても理解をさせるための工夫をしているからです。

どうやってサッカーを楽しみながらスキルをあげるのかという工夫をしているのは、より子供を集中させて楽しむ中でさらに上を目指すというものができあがっているからで、それは保護者の方にも子供にも理解を得られています。
ですから言葉を以って叱ることはあっても、体罰や暴力的な言葉さえありえないのです。

叱るのはたいていの場合集中できる状況でありながらよそに気持ちが行っていたり、仲間の中でいじめであったり無視などの団体としての理解を得られない時にしか行いません。
まして中学生はクラブチームですので試合に対してもそうですが、試合中に怒鳴ることはほとんどありません。

あるとしたなら味方だろうと相手であろうと、チャレンジしている相手を怪我をさせるようなプレーをした時だけで、ミスをしても、得点を取られても、思うようにいかなくても怒鳴ったり怒ったりなどするはずもありません。
なぜなら彼らは私のためにサッカーをしているのではなく、自分のためにサッカーをするのが当然なのです。

しかし指導者の中には・・・たぶんその教師もそうなのでしょう・・・自分の思い通りに行かないと怒鳴ったり、自分のところの選手でありながら罵倒をする、審判には悪態をつく・・・、そんな自分の思い通りにしようとする指導者がまだまだ大勢います。

そういう人がもし自分の中で体罰・・・と思っても、当然ながら周囲から理解されるわけなどないでしょう。

繰り返しますが、私は暴力行為は否定しますが、体罰があったとしたのであれば周囲が評価をするべきだと考えます。
自分の子供が圧倒的に悪いというのに、頭を軽く叩かれたのを体罰として怒鳴り込むような場合、周囲はどう考えるか・・・そこを勘違いしてはならないと思います。

そしてそんな状況においても私は体罰をしないであろうと考えています。

コメントを残す

必須欄は * がついています