日々思ふこと(教育改革編)

教育に関して綴って参ります

人は変わることができるのです

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なにせ私が証明していますから(笑)

自分で自分の恥を晒すことになりますが、全くそこに恐れはありません。
それが事実ですし、今の私が皆さんからいただいたものであると思っているからです。

高校時代の同期生が、私が地域でこうした活動をしたり、放射能被害のことで動いたり、保護者としての活動をしたりというのを信じてくれないそうです。
他の同期が「いや工藤は変わったんだよ」「昔と全然違うんだよ」と言っても「あんな自分のことしか考えていなかった奴がそうそう変わるわけがない」と返ってくるそうです。
私はこれに反論するすべがありません(苦笑)

高校時代の学校内だけを知っている同期であればこういうのは当然とすら思っています。

しかし、それを変えるきっかけをくれたのも高校の同期の仲間たちであり、先輩や後輩であるわけで、私はこの高校時代がなければ一生引き籠って自分のことだけを考えていたのではないかと感じます。

ですからたまに地元やテレビで紹介された印象で私を見ていらっしゃる方は「いい人」に写っているようですが、私はそんなにいい人ではありませんし、仕事などでは野心さえ持っています。
その意味においては極めて普通の人間であり、とてもいい人だとは思ってもいません。

キャラクターは相当変わったと自分でも感じます。
先ほども書きましたが、自分のことしか考えていませんでしたので、今のように地域のことがどうの、子供のことがどうのなどと考えるようなキャラクターではありませんでしたが、今では自分の仕事などが落ち着いている状況であれば率先して地域のために、子供たちのために動こうと思っています。
言うだけ番長になりたくないですし、まるで自分だけの成果のようにしたくもありませんので、陰に隠れてやることも多くなっています。

行政交渉などはその最たるもので、表立って動いてしまっては行政も言質を取られるのを恐れて本音の部分を隠しますし、一部の市民団体のように「いうことだけが目標」となるのを防ぐためです。
こうしたものは水面下で動いて本音や本当のものがでることが多く、最終的に表での行政交渉で決まったことを先方が話すということも往々にしてあります。
それを疎んではいけないわけで、目立つ活動だけをする人はそうした場所にはきませんし、町会や保護者の中でとにかく目立つ場所だけで動いたり声を出したりするような人になってはいけないと自分に言い聞かせています。

神輿に例えれば華棒の先頭以外も担ぐわけで、それが全体を支えることを忘れないようにと思っています。

それほど変えることができたのだと自負しています。

ただし筋として変えない部分はあります。
人として正しいと思うことに関しては絶対と言っていいくらい曲げませんし、たとえ先輩であろうとも食って掛かります。
その部分は私の特徴であるとさえ思っているので、これは変えないようにしようと思っています。
そのため「頑固」「堅い」というのは変わらないかもしれませんが、こればっかりは工藤だとご理解ください。

それからキャラクターではなくてもっと変わったのは身体でしょう。

小学校に入るまでは運動音痴で、体も強い方ではなく、自家中毒で、痩せてガリガリという状態でした。

しかし小学校に入ってからは運動神経はそれなり、大きな病気をしたことがないという状況になり、今日に至っています。
高校に入った時に小さかった身体・・・身長158cm、体重43kgは身長180cm、体重75kgとなり、来年50歳を迎える予定ですが東京都サッカー協会のアクティブレフェリーとして協会の割当審判をしていますし、シニアサッカーではそこそこの活躍をさせてもらっています。

人は心も体も変えることは絶対にできると信じています。
それは私が体験したからこそ言えることです。

今、子育てで悩んでいらっしゃる方、思春期で子供がぐれてしまった方でも、必ずお子さんは変わることができるのです。
それを見守るのは親であるあなたしかいないのです。

私は高校時代の同期に感謝するとともに、ずっと見守り続けてくれた両親に感謝をしています。

もう一度書きます。
人は変わることができます。

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