日々思ふこと(教育改革編)

教育に関して綴って参ります

このブログの更新は終わりにします

2016/3/7 月曜日 から damian | 0件のコメント

2005年の前身ブログから続けていた当ブログですが、放置をしていたこともあり更新を終わりにしようと思います。

もともとは葛飾区の夏休み削減に反対をして起ち上げたわけですが、2014年から元通り9/1から二学期が開始となり、その時に教育のブログへの書き込みをあまりしなくなりました。

途中には2011年3月11日の東日本大震災と、それに関して発生した福島原子力第一発電所の事故、そしてそこから発生した放射能被害への理解、それらを訴えることをしてきました。

それらは、ありがたいことにさまざまな仲間と連携することによって実現をすることができました。

最初はこのブログを閉鎖しようかと思ったのですが、意外にも「まだ」PTAに関しての記事が読まれていること、新しいユーザーさんが覗きに来ていることを考え、記録としてのブログは当面残しておこうと思っています。
※いつ閉鎖するかはわかりませんが^^;

今後はこちらもたまにしか書いていませんが(しかも一度ブログを誤って全削除をしてしまうという(苦笑))、別のブログがありますので、よろしければそちらをご覧ください。

日々思ふこと http://kudo.jpn.com

長い間、ありがとうございました。

彩庵 こと 工藤央

教師がやりたくないだけ

2013/10/23 水曜日 から damian | 0件のコメント

中学生の朝練、授業に悪影響? 長野県が廃止方針案-asahi.com
2013年10月22日08時21分

 【軽部理人】中学生の運動部の朝練習は原則やめるべきだとの方針案が長野県でまとまった。睡眠不足になるうえ、朝食を取りづらくなって授業にも悪影響を与えるというのがその理由。同県の調査では県内の95%以上の中学校が朝練に取り組んでいるといい、今後議論を呼びそうだ。

 同県によると、中学校で運動部に参加する生徒の比率は全国の66%に比べて同県は59%にとどまる。県教委は、スポーツ医療関係者や体育教師らで「適切で参加しやすい運動部」を目指す検討委員会を設け、昨秋から各中学校に示す基準案を検討してきた。

 21日の会合で示された基準案には「食事と睡眠、生活リズムを考慮し、原則として、朝練習は行わない」と明記。「完全休養日を週2日以上」「勝利至上主義に偏らず、生徒のニーズを生かす」なども盛り込んだ。

勝利至上主義の何が悪い?とも思うが、勝利だけを目指すだけでは欠けるものもあるのは事実。

そして学生の本分は学問にあるというのもまた真実。

だがこの長野県の方針は、ただ教師がやりたくないとしか見えないのはどうしてだろうか。

体育会系の縦社会を嫌う人も山ほどいるだろうが、そこから学ぶものだってあるのは間違いがない。

勝利を目指して努力をすることのなにがいけないのかも理解できない。

負けから得られるものがあるかもしれないが、勝利して得られるものも大きい場合がある。

きれいごとだけにするなよ!とだけ言いたい感じなのかな?

今朝のあさイチでさらっとですが

2013/10/3 木曜日 から damian | 2件のコメント

無料通話アプリによる子供の被害についてやっていました。

無料通話アプリに限らないのですが、携帯電話を持たせてきちんと管理しなければ、性犯罪被害であったり詐欺にひっかかったりするわけです。

今日やっていたのは個人情報を晒してしまったパターンなどでしたが、インターネットに個人情報を出してしまえば、たちまち広まると考えなければなりません。

私は子供に携帯電話を持たせることに対して、基本的に反対しているのは「親が絶えずそばにいるわけではない」ということと、こうしたものの理由からなのです。

ただ携帯電話を約束なしに渡してしまえば、こうした被害にあう可能性は間違いなく高くなります。

無論パソコンに関しても同様です。

管理アプリをインストールをしてみればわかるのですが、ほとんどの掲示板は子供の設定にすると見ることができないのは、掲示板は使い方をきちんと知らなければ危険だからです。

管理アプリなしに家庭でインターネットを使わせてしまうと、携帯と同様のことがあります。

どうやって子供に安全に使わせるのかは、親にかかっているのです。

うちの子に限って・・・と後で言ったときは、すでに終わっていることなのです。

平成26年度から葛飾区立小中学校は夏休みが8月末までとなりました

2013/9/11 水曜日 から damian | 1件のコメント

tansyuku

夏休み縮減に反対して立ち上げたのがこのブログの最初でした。

ようやく本日の葛飾区文教委員会で夏休み縮減が終わることとなりました。

関係者の皆様ありがとうございます。

これからも子供達のため、よろしくお願いいたします。

“一番最初のエントリー”
葛飾区立小学校夏休み短縮反対!

久しぶりの携帯電話ネタです

2013/7/30 火曜日 から damian | 0件のコメント

先日、LINEが話題となった未成年による殺人事件が話題になりました。

Facebookなどをみると「スマートフォンって怖いわ」というものだったりするのですが、スマートフォンよりもなによりも、なぜ子供に携帯電話を持たせる必要があるのでしょうか?と何度もこのブログで書いています。

携帯電話を持たせることは、親の自己満足と子供の欲求を満たすことが主要ではありませんか?とついつい言ってみたくなります。

携帯電話が必要だという方は「すぐに連絡がつく」というのが一番の目的のようですが、それがなんなのでしょうか。

すぐに連絡がつくから携帯電話が必要というのはなぜでしょう。

子供が親に連絡をつけたい場合は仕事場でも構いませんし、自宅でも構いませんが、子供になぜ連絡をつけたいのでしょうか。
そんなに子供に連絡を頻繁に取る必要がありますか?

「塾に行っているか確認したい」
「(親が)仕事をしているときに連絡を取れるようにしたい」
それらは親の勝手な意見ではありませんか?

「安全のため」
携帯電話がなぜ安全につながるのでしょうか。
GPSで携帯のありかがわかることもありますが、犯罪にあった場合私が犯罪者であればそんな証拠となるものはすぐに捨てます。

「何か危険になった時連絡ができる」
危険が差し迫った時に本当にお子さんが連絡を取ることができますか?
走って逃げている最中に電話をすることは難しいですし、もし連絡が取れたとしてそれが本当に意味を持つのでしょうか。

安全にしても危険なことがあった時にでも、警察も、親であるあなたも子供の前に瞬時に現れることなどできようがありません。

逆に私は携帯電話を子供に持たせることで、考える能力を奪っているとさえ思います。

冷蔵庫の中に入っている食べ物があり、おなかが空いたからどれを食べようか・・・となった時、子供が携帯から親に電話をすることになんの意味があるのでしょうか。
子供同士連絡を取り合う・・・って、行動範囲が決まっている特に小学生や中学生が、携帯でわざわざたった数時間の遊びの約束に使うことは、生きていくことに本当に意味がありますか?

最近よく思うのは、携帯電話を持っていることで約束が極めてあいまいになることが多いと感じます。

携帯電話がない頃の待ち合わせは「○時○分に、どこそこ。遅れた場合はこうする。」ときちんと決めたはずです。
女性とのデートの時に、彼女が遅れた際に自宅に電話をして親御さんと話をするというのはかなり緊張しながら電話をしました。

そして約束を守るために必死ではなかったかと思います。

最近の待ち合わせの極端な例が「19時に渋谷らへんで」というものです。
着いたら携帯に連絡をするからということらしいのですが、19時に会うことはないわけです。

おかげで仕事の約束の時にこういう言い方をした人に「きちんと時間と場所を決めてください」と言ったことがあります。
まあそういう仕事の約束をする人は極めて少ないわけですが、そういう人が増えてきたというのもまた事実です。

それもこれも便利すぎる世の中、そして携帯電話によるものではないかと思うのです。

確かにモバイルは革命的で便利さをもたらしているのは事実です。
ですが、子供の時からそれが本当に必要なのでしょうか。
少々の不便があった方が、子供が大人になった時「無理なものは無理」というのがわかりやすいのではないでしょうか。

最近はあきらめないで絶対何とかなると無茶をする子供も増えているような気がしますが、それは便利だから何とでもなるだろうという甘えから来ているような感じがしてなりません。

ダメなものはダメ、無理なものは無理・・・そういうことを理解させることも重要です。

人は変わることができるのです

2013/6/3 月曜日 から damian | 0件のコメント

なにせ私が証明していますから(笑)

自分で自分の恥を晒すことになりますが、全くそこに恐れはありません。
それが事実ですし、今の私が皆さんからいただいたものであると思っているからです。

高校時代の同期生が、私が地域でこうした活動をしたり、放射能被害のことで動いたり、保護者としての活動をしたりというのを信じてくれないそうです。
他の同期が「いや工藤は変わったんだよ」「昔と全然違うんだよ」と言っても「あんな自分のことしか考えていなかった奴がそうそう変わるわけがない」と返ってくるそうです。
私はこれに反論するすべがありません(苦笑)

高校時代の学校内だけを知っている同期であればこういうのは当然とすら思っています。

しかし、それを変えるきっかけをくれたのも高校の同期の仲間たちであり、先輩や後輩であるわけで、私はこの高校時代がなければ一生引き籠って自分のことだけを考えていたのではないかと感じます。

ですからたまに地元やテレビで紹介された印象で私を見ていらっしゃる方は「いい人」に写っているようですが、私はそんなにいい人ではありませんし、仕事などでは野心さえ持っています。
その意味においては極めて普通の人間であり、とてもいい人だとは思ってもいません。

キャラクターは相当変わったと自分でも感じます。
先ほども書きましたが、自分のことしか考えていませんでしたので、今のように地域のことがどうの、子供のことがどうのなどと考えるようなキャラクターではありませんでしたが、今では自分の仕事などが落ち着いている状況であれば率先して地域のために、子供たちのために動こうと思っています。
言うだけ番長になりたくないですし、まるで自分だけの成果のようにしたくもありませんので、陰に隠れてやることも多くなっています。

行政交渉などはその最たるもので、表立って動いてしまっては行政も言質を取られるのを恐れて本音の部分を隠しますし、一部の市民団体のように「いうことだけが目標」となるのを防ぐためです。
こうしたものは水面下で動いて本音や本当のものがでることが多く、最終的に表での行政交渉で決まったことを先方が話すということも往々にしてあります。
それを疎んではいけないわけで、目立つ活動だけをする人はそうした場所にはきませんし、町会や保護者の中でとにかく目立つ場所だけで動いたり声を出したりするような人になってはいけないと自分に言い聞かせています。

神輿に例えれば華棒の先頭以外も担ぐわけで、それが全体を支えることを忘れないようにと思っています。

それほど変えることができたのだと自負しています。

ただし筋として変えない部分はあります。
人として正しいと思うことに関しては絶対と言っていいくらい曲げませんし、たとえ先輩であろうとも食って掛かります。
その部分は私の特徴であるとさえ思っているので、これは変えないようにしようと思っています。
そのため「頑固」「堅い」というのは変わらないかもしれませんが、こればっかりは工藤だとご理解ください。

それからキャラクターではなくてもっと変わったのは身体でしょう。

小学校に入るまでは運動音痴で、体も強い方ではなく、自家中毒で、痩せてガリガリという状態でした。

しかし小学校に入ってからは運動神経はそれなり、大きな病気をしたことがないという状況になり、今日に至っています。
高校に入った時に小さかった身体・・・身長158cm、体重43kgは身長180cm、体重75kgとなり、来年50歳を迎える予定ですが東京都サッカー協会のアクティブレフェリーとして協会の割当審判をしていますし、シニアサッカーではそこそこの活躍をさせてもらっています。

人は心も体も変えることは絶対にできると信じています。
それは私が体験したからこそ言えることです。

今、子育てで悩んでいらっしゃる方、思春期で子供がぐれてしまった方でも、必ずお子さんは変わることができるのです。
それを見守るのは親であるあなたしかいないのです。

私は高校時代の同期に感謝するとともに、ずっと見守り続けてくれた両親に感謝をしています。

もう一度書きます。
人は変わることができます。

葛飾区に学生特区を作ってみてはいかがか

2013/5/29 水曜日 から damian | 1件のコメント

新金線きっぷ
画像:kochikame.net「新金線てなーに?」より

教育のブログになんで鉄道?と思われるかもしれませんが、まあじっくり読んでください。

金町地区に待望の大学、東京理科大学がやってきました。
JR金町駅の北側、徒歩7分ほどの場所にできたわけですが、ここに電車で来るには常磐各駅停車(東京メトロ千代田線)と京成金町線の京成金町駅となります。
京成金町線は高砂で乗り換える必要がありますし、常磐線も東京側は上野、日暮里、北千住、千葉側は松戸、柏、我孫子のアクセスということになります。

つまりは来られる学生が限られるわけで、そこに総武線の駅と結ぶことで、葛飾区に南北の鉄道ができることで、中央線沿線側から、千葉市側からの学生も臨むことができるようになります。
その目的の一つとして新金線は重要なアクセスとして期待できます。

そして私が申し上げたいのはここからで、新金線のそれぞれの駅付近に地方からの学生を受け入れる「特区」を作ってみてはいかがかと考えているのです。
東京、特に葛飾区はこれから高齢化が予想されているのですが、葛飾区はそれに対して対処している様子はありません。
このままでは若い世代が減ってしまうのですが、そこに大学ができたのですから若い世代に住んでもらうようにするべきなのです。
それも結婚してからも区内に住んでもらえることを考えるのです。

提案したいのは以下のようなものです。
1.地方学生が特区にアパートなどを借りる場合、葛飾区指定アパートに居住の場合家賃の一部を奨学金として貸し出す
2.卒業後8年間葛飾区内に居住した場合「1」の奨学金は全額免除とする
3.葛飾区内で卒業をし結婚・居住の場合も「1」の奨学金を全額免除とする
4.居住期間中は地域活性化に協力しなければならない方策を考える
 →ポイント制で奨学金の額を変化させるもしくは付与しない
 →祭りへの参加、子供会や小学校・中学校イベントへの参加
 →区内スポーツクラブの指導アシスタントとしての参加
 など

とまあ、ざっと考えただけでもこれくらいのことは出てきます。
たぶん真剣に考えるとそれ以上にでてくると思います。

そしてさらに地域の商店を使うようなこと・・・スーパーを使うのではなく商店街を活性化および商店の方々とのふれあいを考え、学生証のIDを読み込みポイントなどを付けるようなことをするのはいかがかと思っています。
そうして葛飾区に愛情を持っていただき、将来的に住んでもらえることを考えることで、若い世代が少しでも定着してもらえるようになるのでは?などと思っています。

ただ、新金線のイベントが開催されたようですが、残念ながら「鉄ちゃん」にはうけたようですが、一般の方はイベントの質の低さに残念に思ったようです。
もっと具体案を用意して、今言われている90億円の投資の意味と効果がどういう風に表れるのかを示す必要があります。

仲間のありがたさ

2013/5/27 月曜日 から damian | 0件のコメント

独りで暮らすようになって、ふと自分だけの時にいろいろなことを考えてしまいます。
決してポジティブなものだけではなく、ネガティブなものも結構あったりします。
しかし、そういうものから引き揚げてくれるのは仲間だというのを再確認させてもらうことがいっぱいあります。

いつも親からも言われていることですが、つくづく生かさせてもらっているのだというのはこういう時にこそ感じるわけです。

先週は立石の地元の仲間と久しぶりに会って話をしました。
子供のことであったり、地元のことであったりするわけですが、少しは心配してきたんだな^^;なんて感じたものです。
本当にありがたいものだと感じます。

昨年引っ越してから青戸地区から新小岩北地区に移ったわけですが、そちらでのいろいろな人との再会などを果たし、旧交を温めたところからまた何かがスタートしそうな予感がしています。

そして今日は小P連ブロック時代の会長仲間が仕事の件で来て、仕事の件はわずか10分で残りは雑談状態で盛り上がってしまいました。

大人になってからこうやって仲間が増えたことは私にとっての財産だと思っています。

必要だと思ってくれている人がいるうちは、本当に生かされているのだと感じています。

ネガティブな気持ちを引きずってもなにもならないと感じ、前向きに生きられるようになったのもみんなのおかげだと思っています。
本当にありがたいものだと・・・

それに対して嘘をついてまで人を貶めようとする人もいるというのだから・・・困ったものです。

中学校の歓送迎会

2013/5/14 火曜日 から damian | 2件のコメント

下の子の中学校のPTA歓送迎会が行われましたが、それぞれの場所でいろいろ違うことがあるのだなと感じました。

子供たちが通っていた地域の学校、上の子が通った学校、そして今回の学校と三つを見ても全く違うので、それぞれにそれぞれのやり方があるのだと再認識させていただきました。

ちなみに役についている以外の現役保護者の男性は私だけだったようで・・・といっても歓送迎会の係であったからという参加なのですが、動員を考えれば係を一クラス4名以上としているため歓送迎会の人数は保てるというわけです。
これはこれで歓送迎会をにぎやかにするためにはいいものなのかもしれないとは思います。

笑ったのは唯一一般席で男性が三人並んでいたこと(笑)
学年主任の先生と私、そして担任の先生が並んでいたため、どう考えても狭いテーブルだなと感じましたし、先生方もわざわざむさい男が隣にいるのもなんだかなあと思ったかもしれません。
しかし、楽しい二時間を過ごさせていただきました(といってもフリートークは一時間)のでよしとしましょう。

あと体育館で行われた歓送迎会というのも初めてだったわけで、それも驚きでした。

ところ変われば

2013/4/19 金曜日 から damian | 0件のコメント

先日、中学校の入学式に出席しました。

驚いたのは入学式後に何の説明もなく「PTAの委員決めと係り決めをやります」と言われたことでした。
その学校のPTAに対する考え方であったり、PTAはどういう組織なのか、委員や係の内容はなんなのかという説明がすべて省かれていました。
さらには三年間で子供一人につき必ず委員または役員をやると書面で渡されたのです。

さすがにこれはまずいと思い、学年主任の先生に話をすると「私は教員ですから」・・・ってあなたはPTA会員じゃないの?と突っ込みたくなったので、PTA会長にお話をさせていただきました。

私がPTA会長をさせていただいた小学校では、入退会についての自由や、PTAの役割や内容について入学前の説明会で30分ほど時間をいただき話をさせていただきました。
お願いをしたのは入退会は自由ですが、子供の保護者だということをご理解いただき、学校や地域をよくすることが自分の子供につながるのだということをご理解いただき、大人として参加をしていただきたいということです。

おかげで大きなトラブルはなく、全員参加のPTAとなっていました。
※というのも、総会などで突っ込む保護者が予備軍としていたのを知っていたからですが・・・
それでも運営や委員会活動については厳しい目があったのも事実です。

しかし、今回の学校は「今までトラブルがなかったから」ということで今まで通りの運営で大丈夫と思っているとのことで、PTAの任意団体としての説明のない中でいきなりの「全員委員か役員をやってもらう」という発言になっていたわけです。
クラスごとに分かれて決めるわけですが、PTA参加についてどういうことをするのかという説明をしていただいたのは、たぶんうちのクラスだけだったと思います。

このブログをご覧になっていただいていらっしゃる方は、私の「できる時に、できる人が、できることをやる」ということを知っていただいているので、私は役や委員をやりたくないから言っているのではないということはご理解いただけると思います。
もちろん私も時間が許すのであれば、推挙していただいたとすれば役もするかもしれません。
しかし現在は自分で生きていくのがたいへんですので、できる時にできることということで、歓送迎会の係をさせていただくことにしたのですが、いまできる範囲はこれしかないと思ったから、まずは歓送迎会でとなったのです。

もし校外での活動などで町会パトロールなどがあれば、夜の時間帯を使って参加させていただくでしょうし、お母さんだけではなくお父さんが参加してやった方がいいような活動は、時間が許す限り参加できればと思っています。

それにしても委員と係が決まるまで記念写真は撮りませんというのは驚き・・・といいながら上の子の時もそうでしたから、こういうのを常態化させてしまうのはいかがかと感じました。
確かに保護者会となるといきなり人数が減るであろうことを考えれば、入学式に決めるというのは合理的であることは理解できます。
でしたら先にPTAの入退会に関してのことであったり、委員会活動、役員の活動についての説明を事前に行い、それを理解したうえで参加意思の確認(私がいた学校では不参加の方は挙手をお願いしました)をして、先日申し上げた通り・・・と委員と係を決めればいいのではないかと考えます。

仲間というもの

2013/4/5 金曜日 から damian | 0件のコメント

歴代会長のめんめーーーーん
昨夜はPTAの仲間とあっていろいろな話をしました。

場所は平成20年度の葛飾区立小学校PTA連合会(以下小P連)会長だった内田さんのお店である「肉魂兄弟ウッチーズ」でした。
メンバーは・・・
平成21年度小P連会長 仲さん
平成23年度小P連会長 増田さん
平成24年度小P連会長 石川さん
というメンバーで、私の個人的な報告と石川さんがまだ現役の会長なので愚痴を聞く会と思っていたのですが、とにかく楽しくて19時からの5時間ほど本当にいろいろな話をしました。

やってみてわかることであったり、当初は興味がなくても実際にやってみたらどうだったのか、これからの地域活動について、小P連に余計な影響や圧力と思われないようなことなど、本当にいろいろなことを話したわけですが、それがとても楽しかったのです。

私は彼らとは違って小P連の副会長でしたので、会長の苦労はわかりませんが、仲間として認めていただいているようですので、こういう時に紛れ込んで遊んでいます(笑)

まあこの四月から仲さんは南葛高校のPTA会長予定のようですので渋江地区の青少年委員をやりながら、今度は立石地区の青少年育成にも協力をいただくことになります。
葛飾区の子供達を放射能の被害から守る会の会長もお願いしてやっていただいていますが、一緒に活動をするにおいて信頼できる人間だと感じています。

昨夜ちらっとでたのは、小P連とか政治とかは関係なしに葛飾区のなんらかの会をゆるくやっていきたいなどというの出てきましたので、できるときに、できるひとが、できることをやるという思想の下、何かをなしたいと考えています。

PTAとしての活動は中学校になってもありますが、それ以外の活動も、町会などの活動もこれからも継続してみんなとやっていこうと思います。

ありがとう!葛飾小学校

2013/3/25 月曜日 から damian | 0件のコメント

葛飾区立葛飾小学校
葛飾区立葛飾小学校の先生方、子供達が10年間お世話になりありがとうございました。
保護者の皆様には貴重な6年間の経験をさせていただき、本当にありがとうございました。

親子共々騒々しかったかもしれませんので、ご迷惑をおかけした方もいらっしゃるかと思います。
まことに申し訳ありませんでした。

私がPTA会長で楽しかったと言っていただいた皆様、こんな奴を長年応援していただき本当にありがとうございました。

PTAの諸先輩方、いつもサポートをありがとうございました。
そして今度は保護者OBとして、できるときにできることをお手伝いさせていただければと思っております。

親として17年になろうとしている今、小学校にその半分以上をお世話になり、さまざまな経験をさせていただきました。
全てに感謝しています。

これからはただのサッカー小僧に戻りますが、力仕事で、人数あわせで、とにかく何かが必要で、私を望んでいただければ時間が許せば参加させていただきたいと思っています。

そして子供達に、17年間のありがとうを精一杯伝えたいと思います。

こんなことで葛飾を有名にしないでほしいものだ

2013/3/25 月曜日 から damian | 0件のコメント

こういう馬鹿保護者は徹底的にしごいてやりたくなる。

強要未遂容疑:娘の小学校に謝罪文要求 父親を逮捕 東京
毎日新聞 2013年03月23日 12時16分(最終更新 03月23日 13時33分)

 東京都葛飾区の小学校に通う長女がけがをしたのは担任の責任だと言いがかりをつけ、学校側に謝罪文を書かせようとしたとして警視庁葛飾署は23日、葛飾区、職業不詳、亀山順一容疑者(35)を強要未遂容疑で逮捕した。葛飾署によると、亀山容疑者は「電話はしたが強要はしていない」と容疑を否認しているという。

 逮捕容疑は2月20日昼ごろ、50代の女性副校長に「校長、副校長、学年主任、張本人(担任)のフルネームと実印を押して原本をよこしてくれ」「どんだけこっちが我慢しているんだ」などと言い、謝罪文を書くよう強要したとしている。

 葛飾署によると、亀山容疑者の長女は昨年12月下旬、帰宅途中に転倒して左手小指を骨折。亀山容疑者は翌日から学校に「担任が荷物をいっぱい持たせて帰宅させたのが原因」と主張し、謝罪を要求し続けていたという。知人ら数人で学校に押しかけることもあり、学校側が2月下旬に被害届を出していた。【浅野翔太郎】

「知人ら数人」というのがまさか保護者ではないことを祈りたい。

こうした性質の悪い保護者がいるPTAは本当に不幸だと思う。
なぜなら他の保護者ではコントロールができないのだから。

明日、葛飾区では卒業式が行われるわけだが、保護者の皆様の協力でつつがなく終了・・・というのが極めて望ましい。

それにしてもこの手の保護者は見たことはないが、ひどいものだ・・・

いじめで悩むのは本人だけではない

2013/2/27 水曜日 から damian | 0件のコメント

自殺をされてしまって、それでわが子の現実に向き合うのはたいへんに悲しいことだと思います。
子供が「大丈夫だよ」と言っていることで大丈夫なのか・・・と思うことは理解できますが、それが結局違う状況で自殺をされてから感じることというのは、想像を絶するようなことだと感じます。

「無視されとったんか…」 息子の無念に父が涙 和歌山、中1自殺未遂 – MSN産経
2013.2.26 21:51 [westナビ]

記者会見する自殺を図った男子生徒の父親=26日午後、和歌山県田辺市
記者会見する自殺を図った男子生徒の父親=26日午後、和歌山県田辺市

 「無視されとったんじゃなかったんかな」。自殺を図った男子生徒(13)の父親(50)は26日の記者会見で、息子の無念さを思いやって涙を流し、「学校にはいじめと認めて、真実を明らかにしてほしい」と訴えた。

 生徒は4人きょうだいの末っ子。19歳の一番上の姉になつき、いじめのことを相談していた。親には悩みを話さず、心配させないよう振る舞う優しい子だったという。

 頑丈なはずの弁当箱や水筒が壊れ、かばんの中が汚れていたこともあったが「自分でやった」と話した生徒。父親は「いじめで壊されたのに言わなかったのだと思う」と振り返る。

 昨年12月上旬、姉が「最近嫌なことをされていないか」と聞くと「もう諦めた。無駄や」。学校のことを聞くと話を変えたがるようになったという。

私の場合は小学校のPTA役員をさせていただいていましたので、小学校の時はいじめには至るぎりぎりの線に関して自分の子供の情報も聞いていました。
それだけではなく各学年で問題が発生したこと、発生しそうなことなどを学校側と情報交換していました。
必要に応じて保護者の方と学校との間をつないでお話をさせていただいたりしたため、大きな問題となるようなものは少なくすんだと思っています。
それは学校の協力があればこそだと思うのですが、保護者が学校の経営に関心を持ち学校からの信頼を得ることによってわかるものだと思います。

例えば、私は学校から「これは内緒にしてください」というものやまだ事件になる寸前の問題などは私の中のみでとどめて置きました。
もし私の中で少なくとも役員の中で共有したいということについては「○○さん(もしくは役員)には話をしておきたいのですがよろしいですか?」という風に学校へ確認をしていました。
「ああ、この人は口が堅い」と信頼していただければ、学校はきちんとした形で情報を共有してくれるようになります。

私が会長をさせていただいていた時で一度学年で保護者集会を開きましたが、これは学校側にも生徒側にも問題を抱えていて、それを解決するために保護者でさまざまな工夫をしました。
それが生徒を排除したり、教師を排除したりしない状況でかつ卒業時には本当に笑顔で送り出すことのできる学校・生徒・保護者を含めた学年の運営ができたと感じています。

いじめ問題もありました。
いじめはもちろんいじめた側に問題があります。
ですがいじめられる側には「理由」があります。
問題ではない場合があるため「理由」といたしました。
いじめる側からするといじめた時の反応がおもしろいというのでさえ理由となるからです。
もちろんそれは許されざることなのですが、そこを学校側だけで対処できないのは、先日の「躾」でも書いた学校の限界です。

はっきり書きますが、躾のなっていない子供が昔より多くなっているのは間違いないと感じています。
靴紐を結ぶことのできない子供、共同生活になじめない子供、乱暴狼藉をはたらく子供、それぞれ病気ではない場合、躾に問題があることが多いと感じます。
家庭で厳しすぎるのも精神を捻じ曲げてしまう場合もあります。
ちなみに拙宅の上の子は厳しく育てすぎたかもしれないと今更ですが後悔しています。

まあ、実母も昨年私の思っていたことをようやく知ったわけですから、なかなか親というのは躾であったり教育のことで気がつかないものなのかもしれません。

しかし子供に積極的に関与することで、現在の状況を知ることができたのは良い方向であったと思います。
我が子の場合には学校の協力もあり、なんとか踏みとどまった感じがありましたので・・・

あとで後悔しないためにも子供には積極的に関与して良いと感じています。
うざったいだのなんだのと言われるかもしれませんが、少なくても付き合っている範囲を理解する、持ち物はなんなのか(女の子の場合はアクセサリーなども)、帰宅時間の変化など気がつくポイントというのはいくつもあるはずです。

記事中のお父さんはかばんの中が荒れていることに気がついていたのに・・・という悔しさがあるのだと思います。
「もしあの時こうしていたら・・・」というのが心の中にあるのだと思います。
今、このお父さんは苦しんでいらっしゃいますが、他の方はこうしたお父さんの苦しみを理解して、少なくとも自分の子供には同じことをしてはいけないと感じるべきです。
このお父さんもそういう部分も含めてマスコミの前で話しをしているのだと思います。

いじめがあるなら子供と一緒に考えましょう。
どう解決してよいかわからないなら周囲の協力を得ましょう。
それがきっと良い結論となることを願って、本日のエントリーを終了します。

教育現場を破壊しているのは一部の保護者とその子供

2013/2/19 火曜日 から damian | 0件のコメント

こんなことがもし現場でまかり通っているのであれば、保護者がきちんと見ていくしかないだろ。
なんでもかんでも体罰、暴力とすることで、躾さえできないっていうのであれば、こういう子供達が当然できる。
そして彼らが大人になった時に、まともではない意見がさらに大きくなってでてくる。

(18)「ターイバツ、ターイバツ」の連呼が響く教室 苦悩する教育現場
2013.2.18 11:00 (1/2ページ)[westセレクト]

 これまで紹介した意見では、体罰に頼るスポーツ指導について「教育者としての敗北だ」という指摘もあった。これに対し、岡山市の公立中学校の男性教員(30)は、生活指導上の体験をもとに「『体罰は教育者として敗北』というのには、違和感を覚えています」とつづっていた。

 「廊下を自転車で暴走する、エアガンを友達に向けて撃つ、力の弱い女性教師を押し倒す…。最近私が遭遇した学校現場の光景です。この現場を見たとき、生徒に切々と訴えるだけでその行為を辞めさせられるでしょうか」

 男性教員は、スポーツ指導でチームを強くするために体罰を加えるのは「暴力やパワハラで許されない」とした上で、「ときとして、体罰は教育者としての責任になると信じている」と記した。

 学校教育法上「体罰はいかなる場合も行ってはならない」のが原則だが、文部科学省が平成19年2月に都道府県教委などへ出した通知では、教員への暴力に対する防衛や、ほかの生徒に被害を及ぼす暴力を制止するなど「目前の危険を回避するためにやむを得ずした有形力の行使」は、体罰に当たらないとしている。

 しかし、どこまでが認められる有形力で、どこからが体罰なのか。実際の教育現場では判断が難しい場面も少なくないという。

 静岡県の高校教員の男性(26)は、大阪市立桜宮高校の問題が発覚して以降、ささいなことでも生徒たちが「体罰だ、体罰だ」と口を出し、きちんとした指導が行き届かない状況があることに触れていた。

 同様の指摘はほかにもあって、先生がちょっと怒っただけでも「ターイバツ、ターイバツ」と連呼するクラスがあるという話も。戸惑いながら生活指導にあたっている先生たちの様子が浮かぶ。

 「一番懸念するのは、先生たちが問題ある児童生徒の担任を避けることです」。山口県の公立小学校教員の意見だ。問題行動を起こす児童や生徒に対する生活指導は苦労が多い。必要な指導であると確信した行為だったとしても、それが「体罰」として露見すれば処分対象になる。

 この先生は指摘している。「誰しも火中の栗を拾って自分の評価を下げたくない。特に小学校では高学年の学級担任は生徒指導上の問題も複雑になり、仕事は大変になる。これからは高学年の担任を希望しなくなるのではないか」

(か)

もし最初のところが事実だとして、それを「暴力」を持って止めたとしても、私は全力でその教師を守るよ。
先に宣言しておく。
まともじゃない犬、猫レベルでしかない奴を躾するのに、少々叩いたりする程度でわいわい騒いだりしないわ。
むしろそれでがたがた言ってくる保護者を保護者のラインで学校を守るわ。

マスコミで多少誇張が入っているのかもしれないが、学校現場でこういうことがあるだろうというのは、少しだけ予想できる。
それこそ学校ごとの評議会で、きちんと対処してみてはいかがか?

自分の子供が何をしたのか先に考えてから発言すべきであろう。
自分の子供は間違ったことをしない、子供だから許される・・・どっちもありえないことだと考える。

受験も後半に入ってきます

2013/2/12 火曜日 から damian | 0件のコメント

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私立中学・高校の受験も東京ではほぼ終わり、これから公立高校の受験となります。
良い結果が出た人も、悪い結果となった人もいるわけですが、人生はそこで終わるわけではなく、特に若者はそれを糧に成長するかどうかで次のチャンスが変わってくるでしょう。

小学校の子供達も道端やイベントで会うと、合否の結果を教えてくれます。
正直なところ落ちたという子供の話を聞くと残念でつらく感じてしまいますが、そこで残念そうな顔をして先に書いたことと別な表情をすることだけはしたくないので、笑顔で「次頑張ろうぜ」と虚勢をはります^^;
残念ながら全員に希望通りの進路とはならないのが現実ですから、それをどう伝えるか、もしくはそこが場所は違ったスタート地点であることを伝えるべきだと思っています。

残念な結果であれば、励ますという姿勢も見せないで、そうではないということを上手く伝えなければならないと感じています。
さて、受験後半・・・みんなが少しでも自分の理想に近づきますように。

モンスターペアレンツに思ふ

2013/2/7 木曜日 から damian | 0件のコメント

モンスター・ペアレント

誰もがなりうる危険性のあるものがこのモンスターペアレントだと思いますが、自制できるかどうかが分かれ目になっているのだと思います。

今問題となっている体罰に関してもですが、体罰はいけないと言っても、では体罰を受けた自分の子供が何をしていたのかというのに触れたものはありません。
もしかしたら発覚はモンスターペアレントがいなければあがってこなかったかもしれません。

いやいや、冷静に学校にきちんとした形で「うちの子供が悪さしたことは理解しています。ですが、それに対してこういった体罰が許されるわけではありません。」と抗議をしたのであれば、実はそれほど大事になるものではないと思っています。
ただしそれが自殺につながった事件というのであれば学校側に非が大きくあるのは理解をしております。

モンスターペアレントなんてのは私達が子供の頃からというわけではなく、太古の昔から存在したものであると考えています。
「うちの子は悪くない」なんてのは、実は誰もが思うことなのだと感じています。

ですがその現象が発覚したときに、自分の子供のどこに非があったのかなかったのかを冷静に考えて、相手と話すということが必要だと感じています。

拙宅の子供と、後輩の子供の間でトラブルが絶えなかったことがあります。
そんな中で相手のお母さんが我が家に対して陰口を言っているというのを聞いて、私は先方に電話をしました。
ちゃんと私に言ってくれればいいのにということで電話をしたわけですが、先方のお父さんと話しをしようということになったのです。

先方のお父さんとは最初は喧嘩腰ながらも冷静に話し合いをしました。
お互いの子供・・・この時は自分達のそれぞれの子供に非があるかを考えながら・・・に対してのことを考えながら、問題の根幹は何かを探していたわけです。
このときに私が発した言葉にそのお父さんはすごく理解をしてくれました。「私は子供のことを100%信用します。もしそれでうちの子供が嘘をついていた、自分の利益のみを発したのであれば、相手の方に精一杯謝罪をします。」というものでした。

まずは子供の言葉を信用して相手と話をし、その事実が異なるのであればそれは親の自分も責任を負うという覚悟でした。
そして話をする中で両方の子供に非があるということがわかったのですが、なにより私の子供に嘘があったことがわかったので、その場に私の子供を呼び出したのです。
なぜ嘘をついたのか質問をし、その部分についてお父さんに謝罪をしたわけですが、厳しい姿勢に「わかりました。今のお父さん(私のこと)を見ていて、私が自分の子供に対して厳しすぎる自分がいるのもわかりました。お互い雷親父ですね(苦笑)」とわたしをたしなめてもくれました。
厳しい父親でいるべきだという自分を、同じく厳しい父親であったその方が教えてくれたのです。
同時に自分も厳しすぎるなぁと反省をしたそうです。

これが大人の話し合いで保護者としてやるべきことの一つなのではないかと思っています。

しかし世の中そういう保護者ばかりではなく、いじめられたと判断すれば即学校長に訴えるという親御さんもいらっしゃいます。

で・・・いろいろ調べてみるといじめられるという事実はあるものの、その子供にも大きな問題があり、そのことについて反省するべきであるという提案をしても全く聞き入れることがないのがほとんどです。
いじめられた事実だけをあげつらい「この学校の姿勢はどうなってるの?」という親が多いのが残念ながら事実です。
これがモンスターペアレンツの一つの例です。

逆の例ではいじめる側、暴れる側の保護者が「うちの子供は悪くない。悪いのは学校やクラスメート、そして理解しない保護者だ!」なんていう方もいらっしゃるわけです。

こうした例は本当にいろいろ見せていただきましたし、聞かせていただきました。

こういうものがどういうことになるのかといえば、やはり子供に蓄積されるのだと思っています。
それが正しいことだと思うと残念ながら自分を正当化するためのことを自分の中でのみ解決しようとする人がいます。
外に向けてそれが正しいかを判断する材料を与えるのではなく、ただひたすら自分は正しいのだと思い込む・・・これがモンスターペアレントが産み出す最終的な恐怖だと思っています。

その子供が大人になって「それは正しい方向ではない」と自分の親に対して判断できれば問題はないのでしょうが、残念ながら私もそうですが子供にとって親はほぼ全てであるためで、子供が大人になってもそれを否定することは難しいと感じています。

自分がモンスターにならないために考えるべきことはまだまだあります。
子供が大切なのはどの親も一緒ですが、子供と一緒に考えることのできる保護者こそがそれを防ぐことができるのではないかと思います。

子供の目線というのはこういうところでも必要なのだと感じます。

全てを体罰とすることが異常

2013/2/2 土曜日 から damian | 0件のコメント

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私は暴力に対しては否定的である。
これは当然のことであるのだが、体罰に関しては全てを否とする風潮はいけないものだと思っている。

自身はサッカーを教えていて体罰を少なくともこの二十年間したことがない。
しかし小学生を教えた初期は別として、中学生を教えていた時期は言っても聞かない生徒に対しては体罰をしたのは事実である。
だがそれが暴力かと問われれば違うと答えるであろう。
なぜなら問題の生徒は他人に対して迷惑をかける行動であったり、いじめであったり、他人へのいろいろな意味での攻撃、そして度重なるサボタージュによるものだからだ。
特に私が今でも厳しいのは他人を怪我させたり、いじめにつながる行為に対して厳しいが、現在ではよほど言うことを聞かない、何度言っても聞かない選手に対しては「サッカーをさせない」という方向にしている。

昨日、あるニュースが流れた。

汎愛高柔道部顧問が女子生徒に平手打ち 「下級生に危険な絞め技」と説明-MSN産経
2013.2.1 14:16

 大阪市立汎愛(はんあい)高校(鶴見区)で、保健体育の50代男性教諭が昨年4月、柔道の授業中に部員の3年の女子生徒の頬を平手打ちしていたことが分かった。けがはなかった。同校は同6月に市教委に報告したが、担当の男性指導主事が対応を放置していた。教諭は「下級生に対し危険な絞め技を行っており、制止するためだった」と説明しているという。市教委は弁護士5人の市外部監察チームと連携し調査を始めた。
 市教委によると、市立桜宮高での体罰問題が発覚して以降、汎愛高でも複数の体罰情報があがっているという。同校でも体罰が常態化している可能性が出てきた。
 男性教諭は柔道部顧問で、武道科に所属する女子生徒は同部員。教諭は昨年4月、和歌山県で行われた同科の2泊3日の校外実習で、柔道の技の練習中に頬を2、3発たたいたとされる。教諭は「口頭で何度か注意したが危険な行為を止めなかったため」と話しているという。

 同校は保護者に謝罪し、同6月に市教委に電話で報告。指導主事は学校に対し報告書の提出を行うよう指示する必要があったが、怠っており、上司にも伝えなかったという。
 汎愛高は普通科のほか、スポーツ専攻の体育科(約200人)と、剣道や柔道などを専攻する武道科(約100人)で構成。
 汎愛高の新宅博生教頭は「校長ら管理職を含め外部監察の調査対象になっており、取材には答えられない」とコメントしている。

これは体罰ではないと感じるがいかがか。
なぜ学校が謝罪するのか理解できない。
もちろんこの記事の内容が正しければというのが条件ではあるが。

今、NHKで勝利至上主義に問題があるのではないかなどとやっているが、全く違うと言わせていただこう。
熱血指導だからといって体罰が必要なわけではなく、私が学んだサッカーという中では少なくとも一時期を除いてなかった。

勝利至上主義が問題なのではなく、学校や指導者が名声を得たいがためにやっていることなのではなく、少なくとも試合に臨むのであればどんな試合でも勝つことをめざしてやるべきだと考えている。
結果は負けたとしてもやむを得ないわけだが、そこまでをどうやって持っていくのかというのが重要なのであって、それが育成だと考えている。

現在のこの流れは体罰は絶対に反対なんてことになっているようで、先日来申し上げている欧米のように理解に苦しむ世の中にしてはならない。

子供が親から何度も注意をされ、言うことを聞かないからと平手打ちされたら警察に電話をし、親が警察に連行されるのがまともだというのか?
体罰がないから社会を自分の思うがままと勘違いし、それが違うからと銃を持ち出して人を殺す社会というのはまともなのか?

体罰がない社会でも注意深く見なければこういう結果になるのだ。

それでも体罰は何がなんでも禁止と言えるのか?
産経新聞の例は体罰なのか?

私は現在体罰をすることなくサッカーを指導しているが、もし万が一誰かが相手をしゃれにはならないほどの怪我をさせるプレーをした場合、もしかしたら殴るかもしれない。
それは体罰にあたるのか?

体罰をただただ悪と見るべきではないと思うがいかがか。

昨日発覚したわいせつ事件とされるもの

2013/2/1 金曜日 から damian | 0件のコメント

ダウンロード昨日、区内小学校の教諭がわいせつ行為をしたということで、実名報道がされました。

しかし小学校名は出されませんでしたが、教諭の名前が出てしまったことで簡単に割り出すことができてしまいます。
もう一点はここまで所轄ではなく本庁がということでしたので、ほぼ間違いないのかもしれませんが、万が一冤罪としたならその後は大丈夫なのか?などと感じてしまいます。

それは教諭だけではなく、被害を受けた子供に対しても・・・ということです。

ただしこれらが事実であると私は感じており、わいせつ行為を受けた子供が精神的によろしくない影響を持たないように願うことと、学校もこの子供に対して必要以上のケアをしないようにケアをしていただきたいと思っています。

こういう時こそ保護者のつながりが重要だと思っていますが、あの学校であればきっと大丈夫だろうとそう感じています。
PTAの皆さん(役員だけではなくて)、期待しています。

それにしてもどうしてこういう事件が一定数起きるのだろうと不思議に思ってしまいます。
結局のところ早期退職を募ったところ自分も自分もと手を上げる人が多かったことでわかるように、教職を仕事としてしか捉えていないからなのでしょう。

父は公務員として生きてきましたが、最初は高校の教師でした。
一時期私が教職というものを考え話をしたときに「教師というのは仕事じゃない。あれは生き様だからな。」というのを今でも覚えています。
そうたやすくやるものではない、覚悟を持ってやるものだということであり、人様の子供を預かる以上その覚悟を持たなければならないというものでした。

そういうものが欠けている教師がいるのではないかと思います。

しかし一方では若くともしっかりとした信頼できる教師がいるのも事実です。
まだ軽いなんて思う方もいらっしゃいますかもしれませんが、自身が若い時はどうだったのかを振り返ってみて、二十代中盤の青年がしっかりと未来を見てやっている姿を、もう少しだけ温かく見守ってあげる余裕を持ってもいいのではないかとも思います。
ただし甘えさせてはいけませんが。

今回の事件で周囲が騒ぎすぎないこと、被害にあった子供を第一に考えること、学校を責めすぎないこと、大人の方の冷静なる対処を願います。

体罰について

2013/1/30 水曜日 から damian | 0件のコメント

2013011101体罰にたいしてとにかく悪いのだという人の中には、米国ではどうの、欧州ではどうの、北欧では・・・と他国を引き合いに出す方がいらっしゃいます。

ではその国の子供達が素直にはいはいとなんでも言うことを聞くとでも思っているのでしょうか。
親が子供に手をあげて、子供が警察に電話をして親を逮捕してもらう環境が本当に素晴らしいものだとでも思っているのでしょうか。

そういう意見には呆れ果ててしまいますが、私は暴力そのものを肯定はしていませんし、体罰をすべてよしとしているわけでもありません。
許容できるものであるかどうかというのは周囲の判断によるべきであり、本人が正しいと思っても周囲の理解が得られるかどうかは全くの別物です。

桜宮高校の該当の教師は、伝え聞いている範囲では到底体罰を越えており、間違いなくいじめ、暴力の域に入っているわけです。

私は小学生、中学生にサッカーを教えています。
その中で当然ながら暴力で解決するようなことも、体罰で解決するようなこともありません。
なぜなら私はサッカーを教えることについてプロフェッショナルであり、子供であっても理解をさせるための工夫をしているからです。

どうやってサッカーを楽しみながらスキルをあげるのかという工夫をしているのは、より子供を集中させて楽しむ中でさらに上を目指すというものができあがっているからで、それは保護者の方にも子供にも理解を得られています。
ですから言葉を以って叱ることはあっても、体罰や暴力的な言葉さえありえないのです。

叱るのはたいていの場合集中できる状況でありながらよそに気持ちが行っていたり、仲間の中でいじめであったり無視などの団体としての理解を得られない時にしか行いません。
まして中学生はクラブチームですので試合に対してもそうですが、試合中に怒鳴ることはほとんどありません。

あるとしたなら味方だろうと相手であろうと、チャレンジしている相手を怪我をさせるようなプレーをした時だけで、ミスをしても、得点を取られても、思うようにいかなくても怒鳴ったり怒ったりなどするはずもありません。
なぜなら彼らは私のためにサッカーをしているのではなく、自分のためにサッカーをするのが当然なのです。

しかし指導者の中には・・・たぶんその教師もそうなのでしょう・・・自分の思い通りに行かないと怒鳴ったり、自分のところの選手でありながら罵倒をする、審判には悪態をつく・・・、そんな自分の思い通りにしようとする指導者がまだまだ大勢います。

そういう人がもし自分の中で体罰・・・と思っても、当然ながら周囲から理解されるわけなどないでしょう。

繰り返しますが、私は暴力行為は否定しますが、体罰があったとしたのであれば周囲が評価をするべきだと考えます。
自分の子供が圧倒的に悪いというのに、頭を軽く叩かれたのを体罰として怒鳴り込むような場合、周囲はどう考えるか・・・そこを勘違いしてはならないと思います。

そしてそんな状況においても私は体罰をしないであろうと考えています。